『関ヶ原』司馬遼太郎−利や理なのか、仁忠義なのか。

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『上巻』

日本史を全くかじっていなかった僕をすっと戦国時代に引込んでくれた。
名前しか知らなかった戦国武将や、聴いた事もない武将。大名。人間関係。それぞれが結びつき、1人1人シーンでくくられていき、伏線を回収していくので、とても分かりやすい歴史図鑑だと思う。

フィクションなのは分かるが、話がリアル過ぎて大体こんな奴やったんやろなぁーと人物の心象にも触れている。
司馬遼太郎を通しての関ヶ原はとても人間的で、それぞれの人間模様が分かり易い描写力で描かれている。

歴史上の人物が誰が好きか?と聴かれると、島左近と答えるだろう。それぐらい男らしく知的でリアリストな島左近がかっこいい。

結局この時代も「義」や「忠」などとは言葉だけで、
「利」で動く社会だった。
「生」に執着すればするほど、「利」への執着というのは強くなるのかもしれない。

徳川家康の作中名言
「ゆくように積み重ねてゆく。ばくちは勝つために打つ。勝つためには知恵の限りをつくしていかさまを考えることだ。あらゆる細工をほどこし、最後に賽をなげたときには我が思う目が必ずでる。」

石田三成の作中名言
「ひとは生得の短所はついになおせぬものだ。短所を改めんがために大苦しみするよりも、短所に大あぐらをかいて長所をのばすほうが、急務だ」

『中巻』

島津、真田、黒田、大谷、毛利、島津、細川、小早川、長宗我部

などなどが自分の家を守るために、東軍、西軍どちらにつくのか。

西につくフリをして、東に内通したり、
家族で西と東に別れて、血を絶やさないようにしたり、

妻の身柄を人質とし、家族を守らせるために仕方なく西軍に着いたり、離れたり、逃げたり、隠れたり、引き返したり、待ってみたり、媚びを打ったり、言葉遊びに騙されたり、

人はそうゆうとこが、面白い。
と家康が物凄く俯瞰で観ていたり。

裏切りや策略、忠誠心や義をそれぞれの胸に宿し、役者が揃い、舞台が整う。
さぁ下巻で合戦だ。

島左近の作中名言
「家康蝉は昨日の秀吉蝉とそっくりな鳴き声を立てているから、いつのまに交代したものやら分からない。それが同じであれ、別であれ、世間の庶民とは関係がないという訳か。」
「騒いでいるのは大名衆ばかりでございますね。」
「まぁな。俺はその主の生悟りしたような物言いはきらいなたちなのさ。」

『下巻』

上中下と読んで思ったことは、人の心というのは、義や忠ではなく、利によってのみ動かされるということ。
それも、多くを従える権力者、有力者ほど、その傾向が強いという事。
信長、秀吉、家康の三世代でそれも一行に変わらなかった。恩義や、忠誠心などは、利によって全てが崩れた。

その心理を上手く使った家康が勝ち、理想のみを求めた三成が負けた。
なにかを抱えたとき、例えば、家族や友人、同僚、部下、子ども、多くのものを抱えたとき、

自分は利を捨てれるだろうか。
それが出来なければ、家康(大きな権力)に上手く使われるのだろう。
自分の考えや自尊心を貫いて死んでいくのはかっこいいかもしれないが、自分1人で生きていない現実との葛藤。

それを深く考えさせられる物語だった。

利や理なのか、仁忠義なのか。
おそらく答えの出ない永遠のテーマなのだろう。

「家康の経験では、欲のさかんな人物ほど理解しやすく御しやすいものはない。その欲のありかを当方で洞察し、利をもって釣れば簡単にころぶ。」

「秀吉はひとに利をくらわせることを持って天下の英雄豪傑をたらした。かくて天下の人心は汲々として利をのみ思い、茫々として道を思わぬ。利で得た天下は利が散ずるときに滅ぶ。今観よ。かれらの精神は秀吉の遺産にすぎぬ。」

「戦は頭脳と勇気と機敏さの仕事だが、その3つが揃っててもなにもならない。三成の場合、その3つは信長秀吉とさほど劣らぬだろう。しかし、致命的に違うのは、三つを載せている資質だ。受け身の反応なのである。」

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