『札束〜それ、いくら?〜』桃川涼太郎−ショート小説コンテスト②−

スポンサーリンク

一万円札ばらまき

『札束〜それ、いくら?〜』

僕の彼女は天然だ、と言えば可愛らしいが、要は世間知らずなのだと、最近は隠さず言わせてもらう。旅館の部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫を見て、「洗濯機があるなんてさすがは旅館だね、ホテルにはないもんね」と笑う彼女は、宿泊施設の冷蔵庫はテレビ台や鏡台の下にはめ込んであるものしか知らない。カラオケやファミレスのドリンクバーでも、グラスを真ん中に置きながら、左側のボタンを迷うことなく押して溢してしまう。「あれ、おかしいね。構造的にはここを押すと、真ん中から出そうなのにね」と、よくわからない言い訳を真顔でする。構造的には、素直に真下に繋がっていると、なぜ思わないのだろう。彼女は、世間知らずで、どこかちょっとずれている。そんなだから、電車を乗り間違えるのは当たり前で、おしゃべりに夢中になって、赤信号を見落とすのも日常茶飯事だ。この頃僕は、彼女に未だ見ぬ「子供」というものを感じてしまうときがある。

そんな彼女にも、女性らしい、家庭的な得意分野がある。それが洗濯だ。彼女の洗濯はとてもスマートに執り行われる。最新洗濯機の機能のおかげ、だけじゃない。タオルはいつもふかふかで、シャツはいつも真っ白で、シーツはいつも買ったばかりのようにピンとしている。もちろん、高い洗剤や柔軟剤のおかげ、だけじゃない。ベランダからはいつだっていい匂いが漂ってくるのだ。今日だって、真っ青な空の下、色とりどりの洗濯ものがはためきながら、シャボンの香りをふりまいている。いつもとちょっと違うのは、その中に、彼女のお気に入りのバッグが、くるっとひっくり返った状態で干されていたことと、財布やらポーチやら、二人で初詣に行ったときにもらったお守までが干されていたことだ。そして、そのすぐ室内には無数の、いや、ちゃんと数えてみたら22枚の1万円札と4枚の千円札が、まるで靴下みたいに一枚、一枚干されていたことだった。彼女のことだから、どこかでかばんを濡らしてしまったんだろう。それから、家に帰ってお得意の洗濯に取り掛かったんだろう。いろんな洗濯ものと一緒にかばんや財布やポーチやお守、それに、濡れて萎びたたくさんのお札をどんどん干していく彼女の姿が思い浮かんだ。

そんなことを考えて、僕は何だか妙な気分になった。ひとりでいたら、こんな光景を目にすることも、こんな自然に他人の行動を想像することもなかっただろう。そして一緒にいたのが、世間知らずで、ちょっとずれている、天然な彼女でなかったら。
「ねぇ、見て。お金乾いたんだけど、パリパリになって増えたよ! これ、いくらになったと思う?」
干してあった26枚のごわごわの札束をまとめ、彼女はいたずらっぽく僕に見せた。「この一億円、いくらだと思う?」昔、古い銀行の博物館で、一億円分の紙幣をチップにした展示物を前に、彼女が呟いた言葉が蘇る。あのときの僕らはまだ知り合ったばかりで、僕は彼女のその変な質問にうまく答えられなかった。チップにして価値がなくなったとはいえ、一億円は一億円だろうと思った。でも、ふたりで見た小さな一億円の欠片たちは、本当にただの一億円だったんだろうか? 彼女がその白い手に握っている、シャボンの匂いを纏った札束―おそらく彼女の今月の給料だ―は、本当にただの22万と4千円なんだろうか?
「いくらになったの?」
僕は逆に聞いてみた。
「ええっとね、今日ふたりでおいしいものを食べに行けるくらいは増えたと思うんだけど、どうかな?」
彼女はにっこり笑って答えた。世間知らずで、ちょっとずれている、天然な彼女にかかれば、札束も増える。僕らを少し幸せにする分だけ。

何食べに行こうか? そう呟けば、彼女が子供のように喜んだ。

〜桃川涼太郎〜

ショート小説コンテスト

にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ  

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA