『水槽〜詩がこぼれ落ちた〜』桃川涼太郎−ショート小説コンテスト⑧

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『水槽〜詩がこぼれ落ちた〜』

俺ァ、詩を書くが、其れはむしろ、詩を詠んだあとの残骸だ。酒を呑んでいるとき、おぼろ月を何とはなしに眺めているとき、作家連中と居酒屋で喧嘩しているとき、虫の音にいろはを勝手に宛がうとき、もちろん女を甲斐甲斐しく抱くときだって(俺は抱き合うということばが嫌いだ)、俺は詩をだらだらと詠みこぼしているのだ。
俺の書く詩は、俺が詠んだ詩のぬけ殻だというのに、人は其れを読んで、ふぅむと訳知った顔をする。詩を書く奴より、詩を読む奴の方が、僅かばかり虚しいんだろう。

「おい、いつもの奴を」
俺は茶屋で最近馴染みの女を所望した。女、否、幼女だ。
「あい、おいでなんし」
前髪を眉より上で切り揃えた幼女が、真っ赤な着物姿で部屋に入ってきた。両の腕にはひとつの水槽を抱えている。
「水槽を下ろして、こっちに来い」
幼女は緩慢な動作で水槽を畳の上に置くと、これまた妙にゆったりとした動作で俺の膝の上へやって来た。
「その加減は誰に教わるンだ。男の言うことをきいているようで、その実、きいていない。俺はせっかちだから、呼ばれたらさっさと来い」
そう言っても、幼女は、きょとんとして見せるだけで、俺の説教にはうんともすんとも返さない。口許は、ほほう、笑っている。
「小浮、お前はいい女になるぞ。だが、そうなる前に、まだ可愛いげのある子どものうちに、あの呉れてやった水槽で何か飼ってみろ」
膝の上にちょこんと座る小浮は、俺の左の目蓋にふうと息を吹くように、
「なら、わっちは、雨を飼う」
と囁いた。

それから小浮は、本当に雨を飼いはじめた。小浮がしたことと言えば、水槽をただ表に置いただけだったが、毎日暇を見つけては水槽を覗き、雨の様子を観察しているらしかった。
「今日のえさは月でありんす」
昨夜の雨のせいでむっと蒸した気配のする庭で、小浮はハタハタとうちわを扇ぎながら、水槽に溜まった雨水に映る月を見ていた。
「メダカでも入れてみてはどうだ」
動くものがあればちょっとした慰みにもなろうと思い提案したが、小浮はついにうん、とは言わなかった。

その訳はすぐに知れた。ある日茶屋を覗くと、小浮は居なくなっていた。どこかの金持ちの家へ引き取られたと、店の者から聞かされた。
「わっちもこの雨とおなじでありんす」
いつだったか、水槽をじっと覗きこんでいた小浮が、そうぽつりとひとりごちていたのを思い出した。そのときは只、
「何言ってやがる。お前は雨なんて淑やかなもンじゃない。どちらかと言やァ、お猪口に注がれた酒だ」
なんて軽口を返したが、なるほど、今思い返せば、あれは小浮なりの淋しい、という弱音だったのかも知れない。あるいは、初めて出来る家族という存在に対する不安が溢れたか。前に、俺が詩を書くと知った小浮は、
「詩人ならもっと上手に言いなんし」
と、俺の口下手をからかったことがあるが、どうやら小浮も同じ類のようだ。素直にことばにできない奴ほど、身体中で詩を詠む。そして、そういう奴のことばは、詩のぬけ殻になっていく。

―なら、わっちは、雨を飼う。

小浮の居なくなった日は、珍しく晴れた日が続いており、庭に置かれっぱなしの水槽の中は空っぽだった。

俺は雨の居なくなった水槽を引き取って、そこにきれいな水を張り、空気を送るポンプも入れて、水草もコケも飾り石も置いて、最後にヒメダカを泳がせた。
「お前は居なくなるなよ」
完璧にできたビオトープの前で、俺は一編の詩を描いた。

それにしても、やはり、詩を書く奴より、詩を読む奴の方が、僅かばかり虚しいようだ。

−桃川涼太郎−

ショート小説コンテスト

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