『電池~乾電池~』緑川凛太郎-ショート小説コンテスト28

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『電池~乾電池~』

 命を電池に喩えた詩があった。
 一人の少女が「命」を題に、筆を執ったのだ。

 それを読んだときは、俺はもう普通に成人していた。
 だから、だと思う。

 とてつもなく心に響いて、いまだに忘れられなかったりする。

 と、いう話を以前、同僚である神呪(かみの)さんに話した。
 すると、神呪さんは「そう?」と不思議そうな顔をした。
 それが、俺には不思議で、なぜか、聞いた。

 で、その答えが「わからないから」である。
 彼は「いや」と続ける。

「その子は、素晴らしいとは思う。しかし、俺にゃあ響かんな」

「いや、なんで?」

「んー。俺は、命を電池だとは思えないから。電池って替えはあるだろ? 命にはないんだよ。なんて、マジレスをしてみる」

「んー。そうだけどさあ。そのー、なんだろう、大切にしなきゃ! みたいなの、ならない?」

「ならないな。引馬さん、優しいから、そう思うんじゃない?」

「いや、神呪さんも優しいよ?」

「そんなことありませんよ。てか、こういうの、社長に話したら? あの人なら、きっと何か言うと思う」

「そうだな」

 と、頷いた。

 それが、三日ほど前。

「で、俺に話を振っている、と?」

 と、社長は俺の話を喫煙しながら聞いてくれた。
 俺も喫煙しながら話していたから、別に気にしない。
 それに、ここは喫煙所。
 だから喫煙していても、無問題(モーマンタイ)。

「そう。社長はどう思う?」

「今回、テーマ重くない?」

「そうでもないさ。テーマは電池だからね」

「メタ発言だよ、引馬さん」

 はあ、とため息を吐いて、社長は俺に言う。

「まあ、命ってのは、電池には喩えられないと思うよ」

「そう?」

「うん。電池は、半永久的に動くものだから。命は、そうではないでしょ? 少なくとも、人間ってのは、半が付いても付かなくても永久なんて言えないんだよ」

「そうかな。でも、命が半永久的にあったら、良いと思うけど」

「そう? 俺は、それに対しては完璧に否定するね。考えてみなよ、七十年の命と半永久的な命。どっちが楽しいと思う?」

「そりゃ、後者じゃない?」

 大体の人は、後者だと言うだろう。

 だから、不老不死の研究をする。
 死にたくない、と願う。

 と、俺は思う。

「長ければ長いほど楽しめる、と大体は言うだろ?」

「そうだね。でも、終わりの見えないものは、とても苦痛だよ」

「……あんたが言うと意味が重いよ」

「永久的な命のある俺だから話せるんだよ」

「…………」

「終わりのないマラソンは嫌だろ? 終わりのない迷路は苦しいだろ? それと同じさ。長い長い廊下を歩くのは、疲れる。しかし、歩かなければならない。それよりも、七十という終わりが見えていたら、人は生きれるだろう。後悔はしたくないから、と。充分に楽しめるんだ」

「……そうかな」

「うん。あ、でも、そう考えると昔の乾電池はそうだな。喩えられるよ。昔の乾電池って、終わりは決まっているからね」

「そうだね」

 感覚的にわかる。
 五年、十年、と。

「ねえ、百鬼(なきり)さん」

「珍しいな、俺の名前呼ぶなんて」

「うん。まあ、そのさ。あんた、長く生きるじゃんか」

「そうだね。そういう縁があるからね」

「……あんたさ、不幸せ? それ」

「んなことないよ、引馬さん」

 ニコッと社長は笑う。

「俺は、こんな優しい人の子を部下に持って幸せだよ」

「……社長にとって、命って――」

「さて、この話は終わりだ」

 と、社長は俺の台詞を遮る。

「そろそろ戻らないと、尺度(さかと)さん、心配するよ?」

「あ、ああ。そうだな」

 と、俺は頷いた。

 そして、二人で喫煙所から仕事場に戻る。

――わかりきってる質問なんて、しない方が良いかな。

 と、思いながら、俺は仕事に戻ろうとすると、社長が小さな声で言う。

「電池に喩えられるのは、人の子の方だね」

「え?」

「なんでもないよ」

 と笑った社長は、どこか悲しそうだった。

―緑川凛太郎−

ショート小説コンテスト

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