『メモ帳~瞬間~』白川湊太郎-ショート小説コンテスト43

『メモ帳~瞬間~』

「そうなんですね! すごいなあ……あっ、メモを取ってもいいですか?」
上司からの返答よりも先にポケットからボールペンとメモ帳を取りだした。
「出たよ。飲み会の席ぐらい大人しく飲んでおけよ」
隣に座る先輩にからかわれても気にはしない。
「いやいや、そういうわけにはいかないんですって」
そう言いながら俺はメモ帳を胸の高さに構えて、一字も逃さないようにしようと見せるため身体を前屈みにする。上司はさっきよりも一段と嬉しそうな表情をして話し始めた。
飲み会での俺は、こうやって上司の好感度を上げることに徹している。ただメモを取っている“フリ”をするのだ。そうすると話をしている方の人間は喜ぶ。自分の言葉にそれだけの価値があるのだと思い込む。気分が良くなり、さらに話そうとする。とても好循環である。
酒の席で話したことを覚えている人間など少ない。みな楽しければそれで良いのだ。上司も何を話したか後で聞いてくることなどないが、俺がメモを取って真剣に話を聴いていた、というイメージだけは覚えてくれている。

隣に座る先輩が俺のメモを覗きこんだ。一応身体の近くにメモ帳を構えており、見られにくい姿勢を保っているのだが、たまにこうやって意図的に見てくるやつ相手はどうしようもない。
「おまえ、普段はすげえ字が綺麗なのに、メモを取るときはめちゃくちゃ荒れた字を書くよなあ」
「メモは鮮度が大事なので、僕だけが読める字であれば良いんですよ」
そうやって俺は笑顔で返答する。本当は俺だって自分の文字を読むことができない。俺が読めない程の文字を書いているのだ。どうせ後で見返すこともない。ただ今の状況をよく見せるためだけであるから。

「鮮度鮮度って、なんだか魚みたいだなあ」
先輩は気だるそうに箸で刺身とつまむ。箸をペンに変えてみたらいいのに、などとは思わない。俺だけがやっているから良い部下だって思われるのだ。先輩には一生気だるそうに箸で刺身をつまんでて欲しい。

「そういえば魚で思い出したんだが……」
「おっ、なんでしょう?」
俺はまた一層身を乗り出してボールペンとメモ帳を構える。何かを話したいときや、大事なことを言っているときは空気が読めていた。
「メモを取るって行為は魚が水面から一瞬だけ飛び出す、その瞬間に掬い上げる感覚に似ているよな」
「ほう」
「俺がこの場で話した言葉なんか一瞬で消えてしまうけれど、お前がこうやって書き留めて大事にしてくれてるんだと思うとすごく嬉しいよ」
「そう、ですか」
その瞬間、メモ帳を持った指の隙間から今まで書いた読めない文字が零れ落ちていくような気がした。なんとかそれを食い止めようと、ペンを強く握り、いつもより綺麗な字でメモを取った。

“水面 魚 瞬間 すくいあげる”

後からでも読める文字、だが読み返してその意味がわかるだろうか。
俺は忘れないうちにこのメモの意味を日記に書き直しておこうと決めた。

―白川湊太郎―

ショート小説コンテスト

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