『時間~廻り巡る~』
我らが藁谷町(わらやのまち)市は、とても穏やかな町である。
駅は昔ながらというか、他のところではあまり見ない木造駅舎。
ICカードというものは使えない。
電車を使うなら、駅員から切手を直接貰う。
僕の仕事は、それだ。
長いこと、この町の駅員を務めている。
「どれくらいの時が経ったのだろうか」
部屋を出て、ホームのベンチに腰を下ろす。
この町の人たちは、何だかんだで自分に優しい。
一日に一回は必ず顔を出してくれるし、話もしてくれる。
僕はこの駅から出ることはできないから、住民の話はとても楽しくて、いつも楽しみにしている。
先ほど、八十五歳の老婆から貰った最中を口に入れて、抹茶を飲んで一息吐くと「駅員さん」と声をかけられた。
仕事だ、と思い立ち上がり、部屋に入って「どちらまで」と言うと、その人は「お菓子持ってきた」と笑った。
お菓子? と思い見ると、それはこの町の精神科医・引馬くんだった。
「あー、引馬くん」
「どうも」
「君は変わらず、僕と話をするときは煎餅と緑茶だね」
最初から今までずっとそうである。
「君の中で決めていたりするのかな」
「まあねえ」
ベンチに二人、腰を下ろす。
こうやって隣に座れば、彼が大きくなったのがわかる。
「引馬くん、大きくなったよね」
「そうかな」
「そうだよ。昔はとても小さくて、いつもここで泣いていたじゃないか」
「三十年以上も前だよ、それ」
ははは、と引馬くんは笑う。
「駅員さんから見たら、先日のことかもしれないけどね」
「まあね。長いこと、ここにいるから」
「……あのさ、駅員さん」
少し恥ずかしそうに引馬くんは言う。
「俺、好きな人ができたっぽい。でも、その人には娘がいて。お腹には息子がいる。俺はその人や子供たちを守って、幸せに暮らしたいんだ」
「おおー。それは良いんじゃないのかな? 何か問題でも?」
「んっと、何かさ。俺、目ぇ良くないし。最近、どんどん見えなくなってきたしさ。色もわからないし。左右で色とか違うしさ。こんなのが一緒にいて良いのかな、とか。やっぱり、グダグダ考えちまうんだ」
「……全く、君という人は」
僕は引馬くんの頭を少し乱暴に撫でる。
「グダグダしたって、答えは出ているんだろうが。好きだな、て思ったら言うんだろ? 愛矩(あかね)ちゃんのときみたいに、後悔したくないんでしょうが」
「っ」
「だったら、言いなよ。それに、人は死んだら何もできないんだから」
「駅員さんが言うと、とても説得力があるな」
引馬くんは笑って、立ち上がる。
「ありがと。やっぱ、駅員さんと話せて良かった」
「どういたしまして」
僕が笑うと、引馬くんは町の方に歩いて行った。
「『廻り巡って、圍(めぐる)町。神に委ね、時止めて』だっけ」
友人がたまに歌うどこかの唄。
この町の唄であり、この町の正体。
たとえ正体を暴かれても、この町は変わらない。
変わらずここにあり、変わらずどこにもない。
百年以上もいれば、何となくわかる。
「ま、お陰でこうしていられるんだけどねぇ」
と呟いて、抹茶を啜る。
すると、また誰かが僕を呼ぶ。
僕は返事をして、仕事をする。
人を幻想から現実の時間へ連れていく仕事を。
―緑川凛太郎―
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